るなてぃっく野狐

野良狐がゆっくりと錯乱していく

147段の中で繰り広げられた2時間サスペンス

最近、老いというものを感じるようになった。

現在、出張でスペインのホテルに泊まっていて、僕の部屋は7階にある。

今日、朝食を食べ終わってから「階段であがろう」という思いに至った。この思考の経緯には、まず「最近運動していないからたまの運動もいいかな」というきっかけがあった。

さらにここに「高校生の頃だったら階段を7階分あがるなんてウォーミングアップや」という ”俺ならできるぜ” 的判断要素と、「階段は上るよりも下るほうがきつい」という "果たして本当かどうかも怪しい" 情報源が要素として加わった。これらの理由は、階段を7階分上ることの動機付けとしては十分であった。


これほどの動機が揃っていれば、火曜日の夕方16時くらいからやっている昔の刑事ドラマでは、確実に犯人扱いされる。「俺はやってません」といくら言っても、刑事は目の前にカツ丼を差し出しながら「いい加減吐いたらどうだ、おふくろさんが悲しむぞ」なんて諭してくる。無実を訴えるたびにカツ丼をよこしてくるものだから、真犯人が捕まらなければ食事は毎日カツ丼になり、一ヶ月後には体重が5キロほど増えている。結果、連行された日よりも少し野太い声で刑事に告白をする。
「ぼぉくがぁー、やりましたぁ」
勿論、無実だ。
「やっぱり貴様だったか!」
刑事はそれまでの温厚な態度から一変、声を荒げ机を叩き、目を吊り上げ「なぜだぁ!」と言ってくる。
「か、カツ丼がぁもうぅ、食べられなくてぇー」
頬に肉が付き、痩せていた頃のようにうまく声を出せない。口が常に「う」の形にすぼめられているためだ。
「カツ丼!?それが理由で殺したのか!?貴様、信じられんデブだなぁ!」
刑事の怒声とともに唾が顔にかかる。その唾の匂いを嗅いで、あ、これはミートスパゲティを昼に食べたな、と僕は思う。頭の中で美味しそうなミートスパゲティを想像し、いかん、これはデブの発想だ、と我に返る。
「いや、そうじゃなくてぇ」
「そうじゃないならなんだ!!」
「いやぁ、そのぉ、やっぱり僕はやってないですぅ、カツ丼はもう嫌いですぅ」
「ええい黙れ、このカツ丼いくらしたと思ってるんだ!一杯650円だぞ!調書を始めて一ヶ月、一日三食、つまり合計で6万ちかくだ!」
「300円のサラダでいいのでぇ、それでお願いしますぅ」
「自分に主導権があると思っているのか?貴様はここで、何故あの男を殺したのか、まずはそれを告白することから始めるんだ!」

刑事は、いつも理不尽な条件をたたきつけてくる。カツ丼地獄から脱するために自供するか、無実を訴え続けこのまま月5キロのペースで太り続けるか。究極の選択を迫られ、僕は人生でこれ以上ない葛藤に悩まされる。
そんなとき、突然取り調べ室に白衣を着たショートカットの女性が入ってきた。
「ちょっと待って、彼は無実だわ」
「おい、科捜研がなに勝手に入ってきてるんだ。とっとと失せろ」
「ちょっと待って。確かに彼は怪しい。太っているし、精神的に強くもなさそうだわ。でも、刑事さん、あなたは本質を見失っているわ。彼を太らせたのは、あなたよ」
白衣の女性は、目をきりっと開いて刑事を見やる。それにおののく刑事。
「お、俺が?俺がこいつを太らせた?どうして俺がそんなことをしなければならない?」
「被害者は焼き鳥店の経営をしている男性よ。事件現場には食い散らかされた焼き鳥が、床に散乱していた。つまり、容疑者が太っていれば太っているほど、その人を犯人に仕立て上げることができるの」僕は彼女の発言を聞いて、驚いた。思わず、口からふしゅぅー、と、変な音が出る。
「あなた、事件があった日の夜、どこにいた?」白衣の女性は刑事に問い詰める。
「待て待て、まさかあんた、俺を疑っているのか?」
「答えて」
「それは・・・あの日は、俺は家で一人で酒を呑んでいたよ」
「あの店には行っていないということね?」
「あたり前だろ!事件があって初めて知ったぜあんな店!」
「じゃあ、事件現場に落ちていたこれはどう説明するの?」彼女はビニール袋に入った、白い何かの欠片を机の上に置いた。それを見て、刑事は、止まる。
「そ、そんなの、俺がやった証拠にはならん。パスタ麺の一部が事件現場にあったところでどうなるというのだ」
「なるほど。・・・・・・ねえ教えて、どうしてこれがパスタの欠片だとわかったの?別に、私は何も言ってはいないけれど」
「・・・・・・くっ」
「スパゲティ刑事、どうして?」
「全てあの男が悪いんだ!俺がスパゲティを愛していると知っていたのに、あいつは焼き鳥に走りやがった。知ってたか?あいつは俺の恋人だったんだぜ。俺のために店開くって言って・・・なのに、なのにやつはスパゲティじゃなくて焼き鳥の店にしやがった!だから、店にある焼き鳥を全て食い散らかしてやった。嫌いなのに!俺はスパゲティ刑事なのに!」
「スパゲティ刑事・・・あなたは間違っているわ。彼の厨房、冷蔵庫の中に入っていたものも、科捜研で全て調べたわ。奥から、ミートソースが出てきた。つくね入りの、ね」
途端、膝から崩れ落ちる刑事。両の手で顔をふさぎながら、おうおう、と嗚咽を垂れ始める。

「そんな・・・俺は、俺はなんてことをしてしまったんだ…」

 

ようやく開放された僕は、"科捜研の女" に礼をして、署をあとにした。目の前にはぎらぎらと太陽が照っていた。ダイエットでも始めるか、そう自分に言い聞かせながら、少し遠回りして帰ることにした。

 


で、階段を7階まで上ったわけだが、尋常じゃなく息が切れした。
友人にそれをメールすると「当たり前やろ、頭おかしいんちゃうかw」との返事が返ってきた。これほどまでに理論的かつ合理的な思考をする僕に対してだから、それは到底納得のできる回答ではなかった。だが、気づけば書き上がっていたこの日記を読み返すと、友人の言葉もまんざらじゃあないな、そう思って、微笑みを浮かべ、ホテルの窓からスペインの町並みを眺めることにした。

猫娘

"The Lucky Cat"というウイスキーをご存じだろうか。

本社は鹿児島にある本坊酒造ウイスキーの製造は信州のマルス蒸留所という場所である。ウイスキーの市場やら事情はよく知らないが、とにかく僕はこの本坊酒造、とりわけラッキーキャットが大好きなのである。何故好きか、理由は単純で、それは猫の存在を色濃く味わえるウイスキーだからだ(猫の毛が入っているわけではない)。これまで出ていた「サン」をモチーフとしたラッキーキャットは既に販売が終了してしまっているが、このたび、新たに「アッシュ」という猫をモチーフにしたAsh 99'がシリーズ第二弾が発売された。

これを知ったのは先日、近所のバーにふらりと入った時である。以前のサンエディションがなくなっていて絶望していたのだが、代わりにアッシュが出てきた。アッシュは黒猫で、どうやら鹿児島の本社前に捨て猫としていたらしい。本坊酒造の社長はアッシュを飼うことにして(なんといい社長だろうか)、今は亡くなってしまったものの、ラベルの絵には、当時アッシュが社長を見上げる様子が描かれていた。それを思い出して、アッシュのためにこのウイスキーがあると思うと、僕はなんだか泣きそうになった。普段、感動系映画で泣いた試しのない僕が涙を流すのは、逆立ちしたまま眠れないはずの人間が寝ているのと同じくらい奇跡である。とにかく、それくらい僕は猫が好きなのだ。そして、酒に弱い(泣き上戸)。

 

ということで「野狐は猫が好きだ」というお題である。
「この世で一番好きなものは?」と聞かれれば、僕はいろいろ悩んだ挙げ句、猫と言うかもしれない。・・・弱い。
「この世で一番好きな動物は?」これだと猫、犬の二択になってしまう。余計に弱い。
だが「この世で結婚してもいいと思う人間以外の動物は?」これは猫である。要はあれだ、猫っぽい人が好きで、それに追随して猫が好きという感じか。いや、しかし、猫となら結婚できる気がする。例えば家に帰ってご飯とか作って貰ってなくてもいいし、風呂も沸かしてもらってなくていい、「私にする?」とかいう選択肢も必要ない。ツナ缶をやり、頭をしばらく撫で、あとはもうたまに横で添い寝してくれるだけでいい。それで十分に幸せだ。たとえ夜の営みがなくても、一緒にいてくれるだけで・・・夜の営みを猫とするとか一体どういう状況になるのだろうか・・・深夜によくわからない妄想をし始める26歳男がここにいる。

 

振り返れば、僕の猫好きは昔から徹底していた。昔、まだアメリカに住んでいた頃、たまに日本のアニメなんかも見る機会があったのだが、その中でも一番楽しみにしていたのが「ゲゲゲの鬼太郎」である。猫娘が登場し、怒りで顔が豹変する姿に、僕は淡い恋心を抱いていた。彼女が目をつり上げ、牙を剝きだし、爪を立てるあのシーンが見たくて、僕はテレビを凝視していた。

ポケモンが出始めた頃、ゲームボーイで友人がみなピカチュウを求める中、僕はニャースを狙いにいった。アニメ版のニャースを見て「こいつは雄なのか、雌なのか」を真剣に考えていた。イーブイの進化形でエーフィ(エスパー、紫色の猫)が出たときなど、あの身体の曲線が美しすぎていてずっと描いていた。それらは、自分は猫が好きである、という自覚が生まれる前に行っていた行動であり、抱いていた感情である。さながら幼稚園児が保育士さんに何故かどきっとする、そんな感じである。

大学の頃、猫になりたいと思い、一ヶ月「水と牛乳と魚」だけの生活をしたことがあった。大学の講義でも、内容はあまり聞かずにひたすら教授の喋る「口」を見ていた。教授が動けばその様子をじぃーっと観察した。瞬きを我慢して飲料は全て舌でぺろぺろと舐めるようにした。だが尻尾も生えず、猫に近くなることもなく、落ち込んだ。ひと月後に友人に言われたのは「なんか顔色悪いけど大丈夫?」と「馬鹿じゃないの?」だけだった。

家ではずっと犬を飼っていて、猫は飼ったことがない。父が猫アレルギーだからで、僕も猫アレルギーだからだろう。猫が好きなのに猫アレルギーとか本当にやめてほしい。神様頼む、ひとつだけ願いが叶うとしたら猫アレルギーを・・・いや、ひとつだけだとしたらもう少し考えさせてほしい。

そういえば昔付き合っていた女の子で、キスをすると無性に唇のあたりがかゆくなるという現象が起こった。何故だろう、とキスするたびに思っていたのだが、もしかして彼女は猫だったのではないか。猫っぽい要素はあった。性格と言い、見た目と言い、行動もなんだか猫っぽい子だった。最後のフラれ方も、猫のように彼女は自由気ままだったし。そうか、彼女は猫だったのか。

 

僕は猫娘と付き合っていたのだった!

 

そんなわけないと、理解はしつつ、どこかそんな非現実が本当だったらいいなと思った。

 

絶対的正義ボブ

突然だが、ここ数日間思っていたことを、この場で告白させてもらう。

 

「日本中の女性が全員ボブになればいいのに!!!」

 

一応誤解のないように説明するが、ボブは "Hello, I'm Bob!" のボブではない。僕のステレオタイプではボブは黒人で、黒光りの身体はがっしりしていて、ピンクの唇はぶ厚くて、青い瞳はくるりと大きいのだが、そのボブではない。そのボブだったとして、僕の願いが万一叶ってしまったら、その瞬間から日本は大パニックである。

日本中の女性が全員Bobになったら、「目が覚めたら横で知らん黒人が寝てる、マジ恐怖」というツイートが各地で発生する。観光客以上にBobが増え、街のところどころで彼らは流暢な日本語を喋っている。スーパーでは、セール対象の肉をめがけてBobたちが猛進する。ガールズトークという文化はボブズトークという言葉に変わる。病院ではBobからBob Juniorが生まれる。フェイスブックのいいね!ボタンが、ぼぶ!ボタンになる。アメリカの報道番組CNNは「日本人女性、どこに?」という話題で持ちきりになる。決してそんな絶望的なことを想像してほしくないので、もう一度言う、そのボブではない。Bobの話はもういい。

 

ここでいうボブとは「ボブカット」のボブである。ヘアスタイルの一種で、比較的短め、全体的に丸い感じにまとまった髪型のことをボブという(と思っている)。今なおボブは多くの人に支持される髪型だが、ひと昔前、ボブブームが訪れた時など、「街歩けばボブがいる」という状態だった。それでも女性が同じに見えなかったのは、ボブに実にたくさんの種類があるからだろう。ナチュラルボブ、ショートボブ、前下がりボブ、ぱっつんボブ、前分けボブ、ゆるふわボブ、エトセトラ・・・。おおよそこのような区分けがされている。区分けをしたうえで言う。それら全てのボブが愛おしい。つまり、区分けなど無意味なくらい、ボブはその全てが敬愛すべき髪型なのだ。

日本中の女性ボブ化計画遂行のため、ここで幾つかボブになることのメリットを紹介したい。

 

①ボブはまとまりがよい。
たとえ躍動感のある動きをしたとしても、ボブだったらすぐ元に戻る。一秒に首を40回転させたとしよう。長い髪であれば、顔面に髪の毛がかかっているのが目に見えている。しかし、ボブであれば、たとえそれが80回転だとしても「ふぁさっ」と、すぐに元通りになる。

 

②髪の毛を食うことがない。
長い髪の場合、食事中気づかぬ内に髪を食べていて、髪の毛がなくなってしまう、という事故が昔からよく起こっている。一度髪の毛が口に入ると「ぶちっ」と頭皮から髪の毛を食いちぎってしまうため、髪の毛が短くなるじゃ済まない話なのだ。禿げることを気にせず食事に没頭できるのは、女性にとって喜ばしいことだろう。

 

③工場見学の際に安全に見てまわることができる。
工場見学ツアー。今や日本人女性の9割が定期的に通うこのツアーは、死と隣り合わせのデスツアーなのだ。プレス機に始まり、切断機、吸引器、くるくる回るよくわからない機械・・・こういったものは、髪の毛を挟まれたら最期、足元までの全てをぐちゃぐちゃにしてしまう。髪の毛を長いと、ふとした瞬間に巻き込まれてしまう恐れがある。こんなこと、起きてしまってはいけない。ファイナルデスティネーション3では、ある女性の髪の毛(彼女はロングの髪の毛を三つ編みにしていた)にフックが引っかかり、それが原因でエレベーターに身体が挟まれ、首が千切れるという悲惨な事件が起こったが、あれもボブだったら起こらずに済んだ。

 

④後頭部の謎の空間にいろいろなものを貯蔵できる。
職場のデスク、物が散乱していて仕事にならない!そんな女性はいませんか?あなたに朗報です。ボブにすれば、机の上の散らかった文房具や書類など、全て後頭部のもこっとした謎の空間に入れることができます。仕事の場面のみならず、デートの際には小腹が空いたときのためのお菓子、災害では非常食を入れておくことであなたの強い味方に。

 

⑤髪の毛を針状にして発射することができる。
一般的にはボブの女性にしかない機能だが、例外として男性で、ゲゲゲの鬼太郎も使うことができる。

 

⑥頭を撫でて「ぽんぽん」したいと男性に思わせることができる。
男性の多くは、ボブの「後頭部の謎の空間」に注目する。あの後ろのもこっとした空間に、手を入れてわしゃわしゃしてみたいと思う。「にゃあーー」とか言ってわしゃわしゃーとして、それから手についた頭皮の匂いを嗅いでみたいと思う。この感覚は、多くの男性の共感を得られると確信している。少なくとも僕はそうである。


先日、美容室に行った際にも店員さんに、自分がどれだけボブが好きかを僕は力説した。表現しきれぬ魅力に困っている僕に、店員さんは女性のヘアカタログを持ってきてくれた。
「んじゃあ、野狐さんの言う一番理想の髪型ってどれですか?」
ヘアカタログの表紙には「ボブ特集」と書いてあって、該当のページを見ていると様々な髪型が載っていた。
「えー、これは難しいですねぇ!」
そう言ってテンションのあがった僕は、だが結局その特集ページでびびっとくる髪型は見つからず、特集ページ以外のところもぱらぱらとめくって確認した。特集以外でもボブの髪型はあって、そこに、僕は見つけたのだ。女性を指さして、店員さんに見せた。
「これです!この髪型が一番好きです!」
「え、これですか?」
「はい、これくらい短いボブが理想です!」
「これ、ショートですよ」
「え、これ、ショートなんですか?僕が今まで信じてきた髪型はなんだったんですか?」
「ショートですかねぇ」

ショートだったみたいです。

新幹線を吞み込んでみたら世界が平和になった

仙台に友人がいる。

彼女はなんというかまあ「腐れ仲」なのだが、そもそも腐れ仲がどういった仲かというと「互いに腐っていることを認識しあい、認め合える仲」である。腐れ縁ではなく、腐れ仲。互いが腐っていることを認め合える男女の仲は、そうそうない気がする。僕は公認の変態であるが、それでも普通の友達には見せない ”より” 腐った一面がある。それを見せられるのだから、彼女は大切な友達なのだろう。今日、その子からメールが来た。

 

「昨日夢に野狐たんが出てきて、花火見に行こうって言われてケンヂたちと何人かでタワーみたいなとこ行ったらわし、花火見る前に野狐たんに突き落とされたわ。笑」

 

そのメールに僕は「夢の中でも殺人鬼か俺は。笑」とメールを返した。ちなみに友人は「わし」という一人称を使っているが立派な女性(アラサー)である。かくして僕は腐れ仲アラサー女子の夢に殺人犯として登場したわけだが、実はこれが初めてではない。前に二度、他の友人の夢にも上がり込んで彼らを殺したことがあった。現実世界で言えばこれは立派な連続殺人で、つまり社会的に見れば僕は「殺人犯」ではなく「殺人鬼」なのだ。こういうとき、僕はどういう顔をしていたのだろうか・・・やはり、殺人鬼らしく笑っていたのだろうか。

とにかくアラサー女子からそんなメールが来て、今日一日、僕は少しだけ無敵の気分を味わった。おそらくこの世界で、他人の夢に上がり込み、相手を殺すことができるのは「フレディ」くらいである(フレディは赤白のセーターを着た、火傷した殺人鬼)。フレディは現実世界でも危害を加えるのに対して、他方、僕の場合は実被害がない。
なんとWin-Winな関係だろうか?なにせ相手は「殺される」という貴重な体験をしていて、僕は「殺した」という貴重な体験を聞いているのだ。もはや体験しているのと同義だ。夢の中だから国家に追われることもなければ、たとえ名探偵コナンであっても事件を解決することはできない。所謂、完全殺人である。

何より喜ばしいのは、「殺る殺られる」という本来不謹慎であるべき事象を、被害者と加害者が笑って語り合えるところだ。死人に口なしではない、死んだはずの相手から話題を振ってくるのだ。そうしたら殺してしまったこちらは「ごめんね」と謝れるし、相手も「いいよ」と許すことができる。喧嘩の後の仲直りのようなもので、それは、より深い友情に繋がる。

書いていて楽しくなってきた。というか、最強の人間関係の構築方法を、僕は今しがた発見した。上記のような工程を経て友情が深まるのであれば、周りの友達を夢の中で殺し続ければいいのではないか?彼らの脳内にアクセスして夢の中に登場することができれば、もうミッションの八割は完了したと言える。あとは相手に何かしらの危害を加えるだけで、後日その友人からは「夢の中で殺されたわw」と連絡が来て「マジかすまん、そんなつもりはなかってん」と返して、めでたく友情を深めることができる。

なんとすごい発見だろうか。普段は自画自賛などしないが、これは本気でノーベル平和賞を狙えるのではないか。

しかし、ノーベル平和賞を狙うとなれば「殺人」はいかがなものか。
平和賞を決める円卓での評議員の姿を想像する。「今年のノーベル平和賞、どれにする?」と言う白人男性の横で「夢の中で殺人・・・まあなんて恐ろしいのかしら!」と赤毛の眼鏡をかけた女性が悲壮な表情を浮かべるだろう。それにつられて「殺人だって?それは論外じゃあないか?」と言うアジア人男性、「いや、殺人が非道だというその論理自体が先入観に囚われているわ」とこぼす北欧系の女性が出てくる。そうなると、終いには平和賞を決める卓上が戦場に変わってしまうかもしれない。
ただその前に却下される可能性が高いので、やはり「殺人」以外のテーマが望ましい。なんだろう、「新幹線を一気飲みする」とかそういう系だったら採用されるのだろうか。

 

「この前、野狐が夢に出てきて新幹線を一気飲みしとったで」
「マジかありがとう、君にもそのポテンシャルはあると思うで」
こんな会話で、互いのポテンシャルを認め合い、友情が深まる。

 

「コノマエ、アナタ、ボゥレットレイン、一気飲マイエイ!」
「オーウ、アゴザマス、アナタも、ボゥレットレイン一気飲マイエイ!」
イタリアで対立していたマフィアのボス同士が、銃を捨てて笑い合っているのが想像できた。

 

「前夜夢於、貴特急列車凄勢口入、我見、我大驚也!」
「其夢聞我嬉、特急列車、互口中入、大祝也!」
中国大陸の端と端、電波に乗せられた中文で友情が深まっていくのが想像できた。

 

「ピカピカァ!ピカピカピー、ビカ!ピカピカァピィ!」
「ニャア!? ニャニャニャ、ニャニャーニャニャニャ」
ピカチュウジバニャンがテレビ画面の中ではしゃぎまわるのが想像できた。
ジバニャンがどんな鳴き声かもわからないのに想像できてしまった。ジバニャンって喋るんだっけ。

 

世界中の人々が互いの夢に登場しあい、新幹線を一気飲みする。見た人は、吞み込んだ人に連絡を取り、そこで新たなブラザー(認め合った仲)となる。各国の大統領や首相も、互いに新幹線を吞み込み合う夢を見る。軍の最高指揮官が永世中立国の大使館にLINEを送る。銀河系外の地球外生命体が、地球に咲く一輪の花に向けて信号を発信する。全ての人、人ならざるもの、遠い宇宙の生命体までもが、新幹線を吞み込むことでひとつになる。平和。素晴らしい世界だ。

と思っていたらアラサー女子から新着メールが入った。

 

「やばいよね。前も野狐たんに人体実験される夢みたし。潜在的にこいつは危険だって思ってて、その警告なのかな?笑」

 

確信した。
これでは世界は平和にならない。

恋愛方程四季

秋がやってきた。

総じて秋というのは素晴らしい季節である。食べ物は美味しいし、おしゃれができる。何より、夏から秋への気温下降が素晴らしい。心地が良い。早朝に散歩に出れば、自然と鼻歌を歌っていたくなる。今朝はピアノを弾いていた。これも秋のせいだろう。そんな朝、ぶるぶるっ、と友人からメールが送られてきた。

 

「季節でだれが一番好きなんやっけ?」

 

おそらく「どれが一番好き?」と聞きたかったのだろう。た行で下フリックをしたつもりが実はされていなくて、そのまま濁点をつけてしまった、比較的ありがちは打ち間違い。

可愛い間違いをしよる、そう思ったのもつかの間、果たしてそれを本当に打ち間違いと判断して良いのか、と僕は冷静になった。最近友達になった人だし、もしかしたら僕が知らないだけで彼は「季節を擬人化する変態」なのかもしれない。或いは、自分の変わった性癖を何気なくカミングアウトしているのかもしれない。打ち間違いという逃げ道を作りながら、どこか他人にも理解してもらいたいー。そんな気持ちでこのメールを打っているのだとしたら、当然、僕としてはおざなりな対応はできない。

 

「んー、亜希かなぁ」

 

友人のメールに対して、僕も彼同様に、変換ミスという逃げ道のある内容を返す。返事を返して、再びピアノと向き合う。秋を感じながら打つと、いつもよりピアノの鍵盤を優しく撫でて弾いているような気がした。いつもより、綺麗にリズムを取れている気がした。乾いた空気に、音が流れ出るのが見える気さえした。これも全て、秋のせいだろう。

ちなみに僕はまだ両手でピアノを弾くことができない。”世界の終わり。”の「幻の命」を練習しているのだが、導入部分でつまづく。片手だったら弾けるのに、両手になった途端、音が外れまくって僕は見事な不協和音を奏でる。不協和音の申し子だ。片手であれば手を見ずとも弾けるのに、何故か。それは僕の右手と左手が双方典型的な日本人だからである。集団心理というやつだ。その事実がある限り、多分ピアノは両手で弾くことはできないんだろう。

そうやって現実に戻るが、まだ時間があったので僕はベッドにジャンプインした。ごろりと仰向けになって携帯を見る。iPhoneのロックを外すと先ほどのメールがあった。

 

「季節でだれが一番好きなんやっけ?」
「んー、亜希かなぁ」

 

あらためて考えると、秋が女性であると決めつけてしまった自分の短絡さに憂いを感じた。多分僕は無意識に四季の登場人物を全員女性に置き換え、恋愛対象として見ていたのだろう。なんと視点の狭いことか。恋人として季節を見る必要はない。季節を女性と決めつけるのもおかしい。
友人の変態嗜好から発展した話題なのだから、僕自身、自分の性別を転換させるくらいの変態要素を入れて良かったと思う。相手が変態ならば、こちらもそれを上回る変態で応える義務が、変態の世界には存在する。

野狐(雄)から八子(雌)になり、僕は季節たちとの戯れを想像した。

「ねぇ、八子、好きな人とかいるの?」
私、八子は三条にあるリプトンカフェで奈津とお茶をしていた。奈津は私とは対照的で明るい子だが、こういったガールズトークが大好きで、たびたび私をお茶に誘ってくる。毎度のことだが、「何故私に?」という思いは今なお失せない。彼女は私の好きな人を聞くと、大抵「ふーん」と、笑みを浮かべながら聞くだけなのだ。
「そうだなぁ、最近、昭人くんとかいいかなって思ってるけど」
「へぇー、昭人かぁ。へぇー」
「ねえ、なんでいつも私の好きな人を聞いてくるの?」
「ん?別に理由なんてないわよ。ねぇ、昭人のどういうところが好きなの?」
「昭人くん・・・そうだなぁ、ちょっと儚げなところかな」
「確かに彼、猫背でいつも少し俯いてるから、儚げに見えるよね!え、それが好きなの?」
「うん、いやなんていうか、ほら、私あまり活発じゃないじゃない?静かな方が好きなのかも」
「え、じゃあ晴秀とか無理な感じ?」晴秀はみんなから爽やかイケメンともてはやされているクラスいちの美男子である。が、私からすればその爽やかさは必要なかった。また、今は同じクラスのさくらと付き合っているが、少し前まで梅子と付き合ったり、晴秀の女癖の悪さは噂が絶えない。
「ああ、晴秀くんね。彼が近づくと私くしゃみが止まらなくなるの。生理的に無理なサインかも」
「くしゃみ!? それは相当だね」そう言って奈津は大きく笑った。「でもほら、儚いって言ったら、藤司くんも儚げじゃない?彼、いつも寒そうにしてるし」
「いや、藤司くんは・・・彼の場合は、儚いというか、終わりを迎えた人って感じがするし」
「でも知ってる? 最近、藤司くん付き合いだしたの」
「え、誰と!?」藤司くんは根暗の極みと言われても異論があがらないであろう男子だ。マフラーで顔を半分以上隠し、咳をいつもしていて、そんな彼と誰かが付き合うのは想像が出来なかった。
「実はね・・・梅子」
「え、梅子、藤司くんと付き合ったの!?」
「私、梅子とも結構仲いいんだけど、彼女、藤司くんにびびっと来たらしいわよ。藤司くんを見て、本能的に顔が赤くなるのを止められなかったって」
「へぇー、そういうの、運命とかっていうのかなぁ。私も昭人に照れた顔、見せてみたいなぁ」
「・・・ねえ八子、本当に昭人がいいの?」
「え?うんまぁ」
「彼もなかなか女癖が悪いの、知ってる?女性に近づいては”人肌恋しす”とか言って、んで付き合って、でもフラれた女性はみんな枯れてしまう。彼は危険よ。」
私は昭人のそんな一面を知らなかった。でも。昭人になら、不意にキスをされても許せてしまいそうだ。昭人の壁ドンとか、たまの本気を見てみたい。そうやって近づかれ、付き合う年月が長くなるに連れ、適当にあしらわれるようになって。ああ、それでもいいのかもしれない。私は、本当はそういうのを求めてるんじゃないかしら?
「でも、昭人にだったら、いいかなとも、思ってしまっているわ・・・」私は自信なさげに、だが正直に言う。
「八子!」その瞬間、奈津は声を荒げてテーブルを勢いよく叩いた。「駄目よ!あなたは枯れてしまってはいけない。もういいわ。私、言えなかったけど、あなたのことが好きなの!あなたのことが好きで好きでたまらない。」
「奈津、ちょっと待って」
「八子のことは私が幸せにしてあげる!あなたを海に連れて行くわ!バーベキューもできる!私と一緒なら、外出が楽しくなる!八子、あなたは自分がインドア派とか言ってるけど、違う。私は本当のあなたを知ってる。私に身をゆだねて、自分を開放して、ね?」
「奈津」私は至って冷静だった。まくし立てる奈津に言う台詞は決まっていた。
「駄目?私じゃ駄目かしら?あなたを熱くする自信が私にはあるわ!性別の壁を越えましょう?ね?」
「奈津、あなた、暑苦しいわ」
彼女は泣きながら、カフェから立ち去った。ちょうどそのとき、すれ違いざまに、カフェに昭人が一人で入ってきた。泣いて出て行く奈津の姿を一瞥してから、彼は、私の方を見た。これが運命ってやつかしら。いつもと変わらぬ儚げな表情をする彼に、私は胸がきゅんと締まるのを感じた。


友人から返ってきたメールは「亜希w 擬人化乙www」だった。

おい、てめぇ自分の送ったメール読み返せ。心の中でキレながら、僕は脳内妄想劇を文章に起こして友人に送りつけてやろうかと思った。

腹カタストロフィ

「カタストロフィ」という英単語をご存じだろうか。僕は最近、この単語にハマっている。

goo国語辞典によると、「カタストロフィ」には以下のような意味がある。

1 突然の大変動。大きな破滅。
2 劇や小説などの悲劇的な結末。破局。
3 演劇で、大詰め。

 

故に、絶望的な状況に陥った時、この「カタストロフィ」をその絶望的状況に置かれた物質と組み合わせて、僕はそれを連呼する。
中でも特にしっくり来たのが「腹カタストロフィ」である。ちょうど腹カタストロフィを起こした際、僕は友人に、以下のようなメールを送った。

「牡蠣」

牡蠣、とだけ送られてきた友人は、当然のように、こんな風にメールを返してきた。

「??」

そこで僕は、例の言葉を投げる。

「腹カタストロフィ」

間もなく友人から返ってきた返事が以下の通りである。

「wwwwwwwwwww」

 

牡蠣、腹カタストロフィという二文字で、僕は友人に草を生やせた。「ちょ、今電車の中wwやめろww」と追加で送ってきた彼は見事なまでにこの造語の意味を理解してくれていた。こうやって文章で説明していると、面白みもないのだが…。これを今書いている僕も、全くの無表情だ。

(・ー・)

こんな表情である。とても綺麗な無表情である。だが当時の僕は、トイレで項垂れ、時に蠢き、奇声を発しながら、友人の「w」のみのメールを見て、そしてその後のメールを見て、死にそうになりながら一緒に笑った。僕は苦悶の笑みを浮かべていたに違いない。

 

様々な単語をカタストロフィと掛け合わせてみたものの、やはり「腹カタストロフィ」が一番しっくりくる。その理由を僕は考察してみた。

・まずカタストロフィという長い単語の性質上、前半部分も長くなってしまうと均一性が取れなくなる。例えば髪の毛がぼさぼさのことを「髪の毛カタストロフィ」ということが出来るが、この場合、髪の毛、カタストロフィ、それぞれを独立した単語として理解できてしまう。「毛カタストロフィ」だと、短すぎて何かわからない。組み合わせる単語の長さは、二文字がちょうど良いのだ。

・次に、組み合わせる単語の語尾がか行でないことが望ましい。欲を言えば、付ける二文字両方が「か行」でないのが望ましい。最悪なのは「肩カタストロフィ」である。区切りを間違えれば「カタカタ」と「ストロフィ」の組み合わせに思われてしまう。ストロフィがわなないている状態である。全く意味不明である。「ストロフィって何?」と友人が問うてくるのが目に見える。

・最後に、カタストロフィと組み合わせる単語は身体の一部であることが望ましい。前述の通り、カタストロフィとは突然の大変動、大きな破滅などの意味を指す。例えば、夏の暑い日に冷房が壊れることを「熱カタストロフィ」なんて安易に表現してはいけない。そうなると、友人は地球温暖化の問題に対してメスを入れにくるだろう。花粉症のことを「春カタストロフィ」なんて表現したら、四季がひとつ失われてしまったのかと心配をかけるかもしれない。カタストロフィは、ささやかでなければならない。身体の一部がカタストロフィしているくらいが、ちょうど良いあんばいなのだ。

 

無論「腹カタストロフィ」推しの僕だが、他にも使えそうなカタストロフィはある。是非、有事の際には、使ってみて欲しい。

鼻カタストロフィ:花粉症
指カタストロフィ:足の小指を箪笥にぶつけた
舌カタストロフィ:好きな子に告白する際緊張して舌を噛んでしまった
胸カタストロフィ:胸が小さくて嫌(女性)、雄っぱいあって嫌(男性)
肘カタストロフィ:飲み会の席でテンションがあがり肘でビールをこぼしてしまった
首カタストロフィ:180度まわった

 

彼らでアイドルグループを結成したら面白そうだ。鼻カタストロフィがティッシュで鼻を噛む横で肘カタストロフィがテンションあげてビールをこぼす。こぼれたビールを避けようと進行方向を変えた指カタストロフィは箪笥に足の小指をぶつけ、舌カタストロフィの上に転げおちる。舌を噛んだ舌カタストロフィも倒れこみ胸カタストロフィの雄っぱいに触れ、触れられた胸カタストロフィの「いやん」という声に吐き気を催した腹カタストロフィはトイレに駆け込む。事態を収めようと慌てた鼻カタストロフィは「落ち着けよ!」と叫ぶが鼻が詰まってなにも言えなくて背後にあるティッシュボックスを取ろうとしたら首が180度まわって首カタストロフィになる。腹具合がよくなった腹カタストロフィが戻ると転がっていた首カタストロフィにつまずき指カタストロフィに、指カタストロフィのアイデンティティを失った元指カタストロフィは舌を噛み切って舌カタストロフィに。

 

もう本当にその場所はカタストロフィである。

「アンドロイドが恋人」は実際どうなるのか

まだ二十歳の頃、mixiというのをやっていて、その頃の僕の書いた日記を見てみると、こんなことが書いてあった。

 

「僕の思う女性の魅力的な瞬間ベスト3」
第三位:化粧をしている姿を、鏡越しに見られていることに気づいた瞬間
第二位:脇にクリームを塗りながら、背後でそれを見ているこちらの視線に気づいた瞬間
第一位:時に激しく咳き込む

 

なかなかな変態である、と我ながら思った。学生の頃、友人から変態と呼ばれている理由がわかった気がした。だが、これらにはちゃんとした共通点があるということを、僕は六年の歳月が過ぎてから偶然にも発見した。あの頃はただ魅力的だと思った断片を切り取っていただけだったが、帰納的思考を用いることによって、「魅力」という概念を、より普遍的に定義することに成功したのだ。概して、僕が女性の魅力を感じるのは「女性が油断した瞬間」である。

「女性が油断した瞬間に魅力を感じるんだぁ」

この発言だけ聞くと、ただの危険人物と判断されかねない。よって帰納して辿りついたこの概念を、再び演繹して具体的な現象に落とし込んでいくことにした。変態でもなければ、危険人物でもないということを立証するためだ。油断した瞬間を幾つかピックアップし、脳内劇場にてエピソード化してみた。恋人が人間だと生々しく感じるかもしれないため、「恋人はアンドロイド」という設定である。

 

【冬の帰り道】
二月のある日、仕事帰りのことである。夜、寒さも一層増していく中、僕はコートに身を丸めながら、渋々電車を降りる。早く帰って千紗に会おう、そう思っていたが、改札を出ると、そこに、千紗が笑顔で待っていた。
「寒いかなと思って、来ちゃった」
彼女は少し顔を赤らめながら言う。そうして千紗は僕の手を握ると、体内のエネルギーを熱還元し、手の平から緩やかに放出させた。
「千紗、いつもありがとう」
「いいのよ、私の手で暖まってくれたら、それだけで幸せだわ」
「思ったんだけど、千紗は毎回こうやってエネルギーを放出させてて、大丈夫なの?」
「何言ってるのよ、私の体内には原子炉3幾分のエネルギーが詰まってるのよ、エネルギー切れになんてならないわ」
「そうか、いや、それならいいんだが」
冬が来るたび、僕は彼女の愛を、そうやって手の平から感じ取ることができる。原子炉3機分の愛。それは、彼女が機械であることを物語っている。だが、例えロボットだとしても、愛は存在する。千紗と僕は、お互いに心から愛し合っていた。
「千紗、見てごらん、雪が降ってきたよ」
「あ、本当だ」
空を見上げて、ぱらぱらと降る白い粉を僕らはしばらく眺めた。はるか上空の雪は見えないのに、顔に落ちる直前で、雪は姿を現す。それがなんだか神秘的で、その神秘を千紗と見られている状況に、幸せを感じた。彼女の手から伝う核エネルギーに、その幸せは増幅させられる。
「千紗、なんだか、神秘的だね」
「・・・・・・」
「千紗?」
千紗の方を向くと、彼女は上空を見上げたまま、静止していた。何事かと思い、僕は彼女を揺すって「千紗、千紗!」と叫んだ。たが、彼女は動かない。呼吸はしているのか?彼女の顔に耳を近づけると、小さな音で「ぴー、ぴー、ぴー」と鳴っているのが聞こえる。6回目くらいの電子音の後、無機質な機械音が口から聞こえてきた。
「エラーコード、4・3・5ー 直ちに ”右眼球” を取り除き、水気を取り再装着してクダサイ」
そう言ったきり彼女は動かなくなったので、僕は彼女の顔面表皮を剥がし、素早く右眼をくり抜いてからあらわになった顔にコートを被せた。首に巻いていたマフラーで眼球を隅々まで拭き、十分に水気を取ってから、コート下にある彼女の顔にゆっくりと差し込む。ぎががが、という機械音とともに、彼女は全身で痙攣を幾度か起こす。しばらく止まったままだった彼女に「千紗・・・?」と、小さく声をかける。コート越しに彼女は答えた。
「あっごめん、眼球部分から水分が入って視覚神経付近のシステムがエラーを起こしていたみたい。恥ずかしいわ。あ、私の顔の皮、返してくれる?」

 

【映画館】
千紗には感情があるー それは、映画館に行ったときも実感できる。彼女はホラーが苦手なのだが、恐怖よりも好奇心が勝ってしまうのだろう、ホラー映画の番宣がテレビで流れていると「行きたいなぁ」と小さくこぼすのである。そういうわけで、千紗とは今月も映画館デートをすることになった。
「ごめんね、また見たいなんてわがまま言って。野狐は見たかった?」
「うん、この映画、俺もめっちゃ見たかったし。むしろ、誘ってくれてありがとう」
「なんか、楽しみだね、見る前からどきどきしてるわ」
そういって彼女は自分の胸を押さえる。見ると、心臓部が少し発光している。
「なんか光ってるけど、大丈夫?」
「あ、うん、爆発とかはしないし安心して。ね、ポップコーン食べたくない?」
「いいね、さすが千紗、映画館の楽しみ方を分かってるね」
席に着くと、スクリーン上では他の映画の予告編が流れていた。本編のジャンルに合わせ、予告編でも怖い映画が宣伝された。「怖そう、あ、あれも見に行きたい」二人小声で囁き合いながら、本編が始まるまでの時間、僕らは楽しんだ。
本編が始まり、劇場は暗くなる。隣で「こわいよーう」と囁く千紗の声が愛らしかった。映画は和ホラーのような陰鬱なものではなく、ジェイソンやフレディのようなスプラッタ系の洋ホラーだ。主人公の少年たちがキャンプ場で謎の殺人鬼から逃げる、というベタな設定だが、殺人鬼が突然横から飛び出したり、逃げ惑う少年たちに仕掛けられた罠が突如起動したりで、場内からはちらほらと「わー」とか「きゃー」とかの声が聞こえてきた。千紗も普段なら小さく悲鳴をあげるのに、初めのシーンでびくっと動いた程度で、その後はとても静かだった。ホラー映画を何編も見ているから、耐性がついたのだろう。
「千紗、だんだん耐性がついてきたんだね」耳元付近に囁いたが、彼女は何も答えない。
横を見ると、彼女の頭は首から外れ、膝元にころんと落ちていた。目は丸く見開かれていて、口は顎が外れるくらいに縦に伸びていた。さながら生首が睨み付けられるように、彼女の顔は、まっすぐ、こちらを向いている。僕は頭を拾うと、彼女の首に装着した。
「あっごめん、びっくりした拍子に頭とれちゃった・・・映画、どうなった・・・?」
次の日、同じ映画を見に行くことにした。同じことが起こらないようにと、彼女は恥ずかしそうに、首にガムテープを巻いていた。

 

【トイレ】
千紗と岐阜に旅行に行ったときの話である。養老の滝の帰り道、旅館にすぐ戻るつもりが、バスが整備不良を起こし動かなくなり、僕らは二時間ほどバスの中に閉じ込められてしまった。ちょっと暑いくらいで、千紗も特に大丈夫そうだったが、部屋に戻るや否や、少女のように「漏れる漏れるぅ!」と声を荒げながらトイレに駆け込んだ。かちゃっ、と鍵のかかる音が聞こえて、その後部屋は静かになった。
トイレの鍵というのは面白くて、内側から鍵をかけることは勿論のこと、実は外側のドアノブ中央にあるくぼみに硬貨などを差し込んでくるりと回せば、開くようになっている。非常事態のためにそういう仕様になっているのだろうが、僕にとってはそれは悪戯のためのくぼみにしか見えなかった。
小銭入れから十円玉を取り出し、僕はゆっくりとトイレのドアに近づき、くぼみ部分に十円玉を差し込んだ。音を立てないよう、ゆっくりと回す。ここで音がなってしまえば、彼女をびっくりさせることはできない。油断している瞬間を見るためには、こちらの行動を悟られてはならないのだ。全神経を親指と人指し指に集中させ、細心の注意を払いながら僕はロックを解除した。
そして、勢いよく扉を開く。
「ばぁ!びっくりした?ってうあぁぁぁ!!!!!」
てっきり、便座にちょこんと座って、内股で「うーん」とか言いながら用を足していると思っていた。なにせ、用を足すために入ったのである。
便座に座るところまではあっていた。だが、そこに座っていた彼女は決して用を足しているわけではなかった。頭部を右手に持ち、左手を腹に突き刺していた。腹からは赤褐色の液体が大量に流れ出ていて、床一面にそれは広がっていた。腹の方を向いていた頭部は、手首ごとぐるりと回転すると、頬を膨らませながら僕に言った。
「もう、ちょっと!油圧ポンプのスタビライザーが液漏れを起こしてる瞬間とか絶対に見られたくなかったのに!!!」

 


設定を間違えました。