るなてぃっく野狐

野良狐がゆっくりと錯乱していく

押ボタン症候群によって起こるミクロな財政危機

「押ボタン症候群」という症状がある。

http://ja.uncyclopedia.info/wiki/押ボタン症候群

押ボタン症候群(おしぼたんしょうこうぐん、英:push the button(switch) syndrome)とは、押してはいけないボタンを押したくなるという衝動が押さえられなくなる症例全般(症候群)を指す。 押ボタン症候群(ボタンプッシュシンドローム)は誰もが羅患する危険性を有しており、出生・身分・人種を問わない。

 

おそらく誰しもがかかったことがあるのではないか、押ボタン症候群。

昨今、全人類が押ボタン症候群の潜在的な恐怖(第三次世界大戦の火種)に怯えながら生活していかなければならないほど、深刻な病気である。

また厄介なことに、押ボタン症候群に発症した人間を他と区別する方法は見つかっておらず、発症していることに気づいても、病院に駆け込んだところで治療薬を貰えるわけではない。そう、現在世界には、押ボタン症候群に対するキュアは見つかっていないのだ。

 

かくいう僕も、おそらく押ボタン症候群を発症している人間である。

きっかけは小学生の頃、学校の階段横にある非常ボタンだった。ボタンは赤くて、プラスチック越しにあって、いかにも「押しちゃいかんぜよ」という雰囲気を醸し出していた。寧ろそれは「押してくれやい」と言っているようにも感じたのだが。あれが全ての始まりだった。

 

しかし、子どもの頃の押ボタン症候群というのは奇跡の一種なのではないかと僕は思っている。押してはいけないボタンを押したくなるのは何故か、それを考えるとわかる。

それは「好奇心」である。

 

赤いボタンを押したらどうなるのか。

学校はパニックになって、僕は警察に連れて行かれて、親は泣いて、友達には恐れられ、やがて数年後僕は告白文を出すのだろうか。少年ながら、あの赤いボタンを押しそうになった時、僕はそう考えたことがあった。押してはいけないと理性が嘆きながら、押した後どうなるのかを知りたいと本能が囁く。

つまり、未知に対する興味であって、未知を見たいという好奇心が生み出した現象。

 

想像力と知識欲を伴った論理的・理性的な好奇心が「押ボタン症候群」の正体である。

 

好奇心とは、人間が成長するにあたって必要不可欠な要素であり、つまり人間が人間たりえるうえで必要不可欠な要素である、とも言える。そういった好奇心のもと、学校の非常ボタンを押したくなるのだから、これは脳の発達により起こった「奇跡」を体現していると言っても過言ではない。

 

しかし、大人になって出てくる押ボタン症候群というのは、質が少し異なる。

また、ここでいう押ボタン症候群の症例は昔のそれではなく、ボタンそのものにも変化が生じている。最近特に増えている症例として「魔法石」がある。

 

スマホのゲームなどそうなのだが、しばらく遊ぶと、ゲーム内での体力がなくなってしまう。クエストに行くためには体力が必要だが、時間をおかずにプレイするためには、魔法石を消費しなければならない。

10連ガチャを回そうとすると、体力回復の何倍、何十倍もの魔法石を消費しなければならない。キャラガチャ、装備ガチャ、イベントガチャなど様々な魔法石消費の場が用意される。

 

いずれ僕たちは「魔法石1000個を¥9,800で購入しますか?」という画面に辿り着く。

 

 

魔法石とはとても特殊なものである。

 

それは、別世界の僕たちを強くしてくれる。

現実世界の財布を空にすればするほど、別世界の僕たちは成長する。

何万もの人が憧れるような装備が、魔法石をごまんとかければ手にはいるのだ。

 

また、魔法石を必要とする人間は限られている。

現実世界で富みや権力のあるものは、大概魔法石など必要としない。

むしろ、現実世界で富みや権力を持たぬものが魔法石を求める傾向が強い。

 

 

 

そんなわけで、別世界での自らの成長を願って、現実世界での稼ぎを犠牲にし、僕たちは10連ガチャを回すに至る。

ここでいう購入ボタンは、神聖なものである。

現実世界の稼ぎと、別世界での成長を天秤にかけ、熟考の末に押したボタンである。

もはやそれは押ボタン症候群ではなく、ただ単に葛藤のうえでの購入なのだ。

 

だが、ゲームが進んでいく内に、我々は押ボタン症候群に悩まされることになる。

それは課金額が数万を超えたあたりから、或いは、別世界での自分が十分に成長したあたりで発生する。

 

「あれ、魔法石がだいぶ減っとるやん、これやったら次のイベ持たんな・・・」

「よし、課金しよ」

 

とまあ、こんな感じである。

そこにはかつての "別世界駆け出し勇者" の姿はなく、ただただ金をつぎ込む廃人の姿がある。購入ボタンを押してはいけないとわかっているのに、脳が麻痺して押してしまう。魔法石を購入することが「安心」の材料となる。

ここでいう押ボタン症候群発症の根源は「好奇心」ではない。

好奇心という崇高な奇跡ではなく、より動物的・本能的な「安心」が根源なのだ。

魔法石が足りなくなったから購入する。ないと、落ち着かないからボタンを押す。

購入を繰り返せば安心する、だから無限大の魔法石を求め、指は「魔法石1000個を¥9,800で購入しますか?」の「購入する」ボタンを連打する。

本来の押ボタン症候群から少し乖離はあるが、時代とともに、ボタンも、その症例の質も変わってきているのだ。

 

大人になった時に発症する押ボタン症候群。

国のトップが発症すれば世界的カタストロフィになる可能性も秘めているが、いちサラリーマンであっても、家計が財政危機になりかねない。

 

末恐ろしい。