るなてぃっく野狐

野良狐がゆっくりと錯乱していく

ようこそパラノーマルアクティビティ、或いはUSBスティックになり世界を救うか

こんな経験はないだろうか。

家族とオーケストラを見に行って、素晴らしい音楽に浸る幸福な時間を過ごす。
終盤、いよいよフィナーレという時、シンバルを持った男性が壇上から降りて、自分めがけて走ってくる。
狂気に満ちたその表情にひるんで動けずにいると、いつの間にか彼が目の前にいて、耳元で思い切りシンバルを鳴らす。
驚きのあまり起き上がって、それが夢だったことに気づく。
不意に起こされ動悸がしたため、水を飲もうとキッチンに向かう。
そこで、フライパンが地面に落ちているのに気づく。
シンバルの音の正体は、そのフライパンが地面を叩いた音だった・・・

いや、夢の中であっても耳元でシンバルを鳴らされることはそうそうないだろうし、フライパンが地面に転がっているなんてこともないだろう。あるとすればそれは、ようこそパラノーマルアクティビティと言わんばかりの心霊現象だ。

だが「意識の外(現実)で起きたことが夢の中の出来事とリンクした」なんてことはあるのではないだろうか。

最近減ったものの、大学生くらいまでは、僕はこれをよく経験していた。
音だけでなく、嗅覚を刺激されたこともある。

大学生の頃、講義が終わって昼頃に家に帰宅した僕は、前日の徹夜もありそのままリビングのソファに突っ伏した。
そのまま夕方まで寝ていたのだが、夢の中では友人とインド旅行を満喫していた。

よくわからない寺院で虎を追いかけたり、お坊さんの列に紛れ込んで歩いているといつの間にか自分も坊主頭になっていたり。ガンジス川に入った友人に変な湿疹ができて、病院に駆け込むや否や集中治療室に運ばれる、なんてこともあった。
あまりにも強烈な出来事が多く、今でも夢の内容の節々を覚えている。
かなり長い一日を過ごした後、無事退院した友人と一緒にご飯を食べに行った。
当然インドなのでカレーなのだが、美味しそうなカレーを前に、だがなかなか食べられず悶々としていて、ついに目が覚めた。

目を覚ますと依然として僕はソファに突っ伏していた。
既に夕方、キッチンでは親がカレーを作っている最中だった。

親がカレーを作っている姿を見て違和感を覚えた。
確かにリビングにもルゥの匂いは漂ってきている。家の周りを歩く人がいれば「あ、ここの家は今日はカレーか、いいな、うちは今日はなんだろう、ぶりの照り焼きがいいな」とか思うことだろう。

だが、肝心なのはそこではない。
確かにぶりの照り焼きは半端なく美味いが、そこは今、重要ではない。
重要なのは、親が「いつ」カレーを作り始めたかなのだ。

違和感を覚えた僕は母に質問する、そのカレーは何時頃から作り始めたのか、と。
母は答える、30分ほど前からだよ、と。これは、野菜を圧力鍋に入れる時間込みである。ルゥを入れたのは10分前くらいだと言う。
ともすれば、夢の中でカレーがにおってきたことの説明はつくものの、それまでの前段(友人とインド旅行に行くという過程)に疑念が湧く。


僕の身体は、意識は、来たるべきカレーの匂いを予知して、インド旅行の夢を僕に見せたのか?


実は冒頭の夢も、高校生の頃に見たものだ。実際はフライパンではなく、二段ベッドの上段で寝ていて、目覚まし時計を床に落とした音で目覚めたのだが。
だがどちらにせよ、夢の中では一定の時間、オーケストラを聴いていたのだ。


こうなると、自分には無意識の予知能力があるのかと、中二病的な発想になってしまう。
仮説をふたつ、立ててみた。

 

①人間には無意識の予知能力が備わっている
人間は通常、脳の3%しか使っていないというのは有名な話である。
映画 "LUCY" の中では、100%使うに至った主人公は最期USBスティックになるというwwwwwな展開を迎えたが、10%ほど覚醒した時点で予知にも似た能力を発現させている。
USBになるのであれば100%まで脳を使いたくはないが、大量の情報を脳内にインプットして仮説、演繹、帰納を多角的に用いれば、予知は十分可能なように思える。
上記の例においても、無意識下であれば、確率的に夕ご飯がカレーであることを想定してインド旅行の夢を見たり、目覚まし時計を柔らかいもふもふの布団の隅に配置したことが落下を予知する要因になった、なんて考えれば、予知能力も現実的といえば現実的であるように思う。

②夢の中の時間は、現実世界の時間の何百倍もの速さで進んでいる
予知能力よりももう少し現実的かつ単純に考えると、それは夢の中が現実よりも速く進んでいる、ということだ。
「夢の中のほうが速い?むしろ逆なのでは?」
確かに、一時間の昼寝の間に一日分の旅行をしたりすることはよくある。だが、夢は現実とは異なり、瞬間が連続して時間が進行しているわけではない。
現実は隙間無く埋められた無数の「瞬間」を繋がった結果「時間」という概念が存在するのに対し、夢はある程度の「瞬間」がつながりあって「時間」という概念を作っているに過ぎない。隙間が絶え間なくある夢の中で、結果的に時間が現実よりも早く進んでいると感じるに過ぎないのだ。
寧ろこの場合、夢の中の時間は早く進んでいる、と考えた方が自然である。
起きている間、人間は五感から取り入れる情報を大量に、それも絶え間なく処理する。特に視覚からの情報を頼りにしているというが、寝ている間は視覚からの情報を処理する必要はなくなる。ともなれば、脳内で出来事を全て処理することができるのだから、現実世界よりも素早く情報を処理できるのではないだろうか。
結果的に現実世界で起こっている出来事は、夢の中では遅く感じる。
カレールゥが鼻を刺激し、脳に達して「カレーの匂いである」と判断するまでの1秒間で、夢の中では一日を過ごせてしまう、と考えられなくもない。


残念ながら、僕の知識では全てが憶測の域を過ぎない。
今の僕は27歳らしからぬ妄想を膨らませ、人間の潜在能力にわくわくしているが、一方で、これをただの偶然として捉えているのもまた事実である。

だが、夢を持つことを諦めてはならない。
夢を持っているからこそ、夢に夢を抱くことができる。
僕は思う、夢は夢の最終形態であり、夢を現実にすることこそが真の夢である、と。
だから誰か、僕の夢見た夢の真実に辿り即き、僕の夢を叶えてほしい。

・・・夢がどの意味の夢を指すのかわからなくなってきたので、今日はここらへんで。