るなてぃっく野狐

野良狐がゆっくりと錯乱していく

147段の中で繰り広げられた2時間サスペンス

最近、老いというものを感じるようになった。

現在、出張でスペインのホテルに泊まっていて、僕の部屋は7階にある。

今日、朝食を食べ終わってから「階段であがろう」という思いに至った。この思考の経緯には、まず「最近運動していないからたまの運動もいいかな」というきっかけがあった。

さらにここに「高校生の頃だったら階段を7階分あがるなんてウォーミングアップや」という ”俺ならできるぜ” 的判断要素と、「階段は上るよりも下るほうがきつい」という "果たして本当かどうかも怪しい" 情報源が要素として加わった。これらの理由は、階段を7階分上ることの動機付けとしては十分であった。


これほどの動機が揃っていれば、火曜日の夕方16時くらいからやっている昔の刑事ドラマでは、確実に犯人扱いされる。「俺はやってません」といくら言っても、刑事は目の前にカツ丼を差し出しながら「いい加減吐いたらどうだ、おふくろさんが悲しむぞ」なんて諭してくる。無実を訴えるたびにカツ丼をよこしてくるものだから、真犯人が捕まらなければ食事は毎日カツ丼になり、一ヶ月後には体重が5キロほど増えている。結果、連行された日よりも少し野太い声で刑事に告白をする。
「ぼぉくがぁー、やりましたぁ」
勿論、無実だ。
「やっぱり貴様だったか!」
刑事はそれまでの温厚な態度から一変、声を荒げ机を叩き、目を吊り上げ「なぜだぁ!」と言ってくる。
「か、カツ丼がぁもうぅ、食べられなくてぇー」
頬に肉が付き、痩せていた頃のようにうまく声を出せない。口が常に「う」の形にすぼめられているためだ。
「カツ丼!?それが理由で殺したのか!?貴様、信じられんデブだなぁ!」
刑事の怒声とともに唾が顔にかかる。その唾の匂いを嗅いで、あ、これはミートスパゲティを昼に食べたな、と僕は思う。頭の中で美味しそうなミートスパゲティを想像し、いかん、これはデブの発想だ、と我に返る。
「いや、そうじゃなくてぇ」
「そうじゃないならなんだ!!」
「いやぁ、そのぉ、やっぱり僕はやってないですぅ、カツ丼はもう嫌いですぅ」
「ええい黙れ、このカツ丼いくらしたと思ってるんだ!一杯650円だぞ!調書を始めて一ヶ月、一日三食、つまり合計で6万ちかくだ!」
「300円のサラダでいいのでぇ、それでお願いしますぅ」
「自分に主導権があると思っているのか?貴様はここで、何故あの男を殺したのか、まずはそれを告白することから始めるんだ!」

刑事は、いつも理不尽な条件をたたきつけてくる。カツ丼地獄から脱するために自供するか、無実を訴え続けこのまま月5キロのペースで太り続けるか。究極の選択を迫られ、僕は人生でこれ以上ない葛藤に悩まされる。
そんなとき、突然取り調べ室に白衣を着たショートカットの女性が入ってきた。
「ちょっと待って、彼は無実だわ」
「おい、科捜研がなに勝手に入ってきてるんだ。とっとと失せろ」
「ちょっと待って。確かに彼は怪しい。太っているし、精神的に強くもなさそうだわ。でも、刑事さん、あなたは本質を見失っているわ。彼を太らせたのは、あなたよ」
白衣の女性は、目をきりっと開いて刑事を見やる。それにおののく刑事。
「お、俺が?俺がこいつを太らせた?どうして俺がそんなことをしなければならない?」
「被害者は焼き鳥店の経営をしている男性よ。事件現場には食い散らかされた焼き鳥が、床に散乱していた。つまり、容疑者が太っていれば太っているほど、その人を犯人に仕立て上げることができるの」僕は彼女の発言を聞いて、驚いた。思わず、口からふしゅぅー、と、変な音が出る。
「あなた、事件があった日の夜、どこにいた?」白衣の女性は刑事に問い詰める。
「待て待て、まさかあんた、俺を疑っているのか?」
「答えて」
「それは・・・あの日は、俺は家で一人で酒を呑んでいたよ」
「あの店には行っていないということね?」
「あたり前だろ!事件があって初めて知ったぜあんな店!」
「じゃあ、事件現場に落ちていたこれはどう説明するの?」彼女はビニール袋に入った、白い何かの欠片を机の上に置いた。それを見て、刑事は、止まる。
「そ、そんなの、俺がやった証拠にはならん。パスタ麺の一部が事件現場にあったところでどうなるというのだ」
「なるほど。・・・・・・ねえ教えて、どうしてこれがパスタの欠片だとわかったの?別に、私は何も言ってはいないけれど」
「・・・・・・くっ」
「スパゲティ刑事、どうして?」
「全てあの男が悪いんだ!俺がスパゲティを愛していると知っていたのに、あいつは焼き鳥に走りやがった。知ってたか?あいつは俺の恋人だったんだぜ。俺のために店開くって言って・・・なのに、なのにやつはスパゲティじゃなくて焼き鳥の店にしやがった!だから、店にある焼き鳥を全て食い散らかしてやった。嫌いなのに!俺はスパゲティ刑事なのに!」
「スパゲティ刑事・・・あなたは間違っているわ。彼の厨房、冷蔵庫の中に入っていたものも、科捜研で全て調べたわ。奥から、ミートソースが出てきた。つくね入りの、ね」
途端、膝から崩れ落ちる刑事。両の手で顔をふさぎながら、おうおう、と嗚咽を垂れ始める。

「そんな・・・俺は、俺はなんてことをしてしまったんだ…」

 

ようやく開放された僕は、"科捜研の女" に礼をして、署をあとにした。目の前にはぎらぎらと太陽が照っていた。ダイエットでも始めるか、そう自分に言い聞かせながら、少し遠回りして帰ることにした。

 


で、階段を7階まで上ったわけだが、尋常じゃなく息が切れした。
友人にそれをメールすると「当たり前やろ、頭おかしいんちゃうかw」との返事が返ってきた。これほどまでに理論的かつ合理的な思考をする僕に対してだから、それは到底納得のできる回答ではなかった。だが、気づけば書き上がっていたこの日記を読み返すと、友人の言葉もまんざらじゃあないな、そう思って、微笑みを浮かべ、ホテルの窓からスペインの町並みを眺めることにした。