るなてぃっく野狐

野良狐がゆっくりと錯乱していく

みかん至上主義を謳うバナナ教信者

大学時代、僕は英語研究会というサークルに入っていた。ESSと呼ばれるこのサークルは大概どこの大学にもあって、それは僕の大学も然りだった。母校では、ディスカッション、ディベート、そしてスピーチに部門が分かれていた。僕はスピーチに所属していて、学生の頃は英語のスピーチを作って、他大学の子たちとスピーチの大会に出て競い合っていた。縁あって、今もこういった大会に出させていただいている。ただ、話者としてではなく、審査員として。色んな大学で開かれる大会、その審査員席に座り、学生たちのスピーチを聞いては点数をつけているわけだ。

ちょうど土曜日に、関西の大学主催の大会に出たのだが、神戸だったため、車で行くことにした。せっかく車で行くので、最近仲良くなった母校の後輩も呼ぶことにした。高身長でイケメンだが、決して嫌みな感じがすることもなく、まあなんというか、気の利く後輩、という感じのやつだ。京都駅に少し早めに到着した僕だったが、彼はそれより前についており、送迎口でスムーズに乗り込んでくる。

「あ、お疲れ様です、ありがとうございます、車出してもらって」

白い歯を覗かせて彼は言う。本当に絵に描いたようなイケメンである。

「ええよー、ほな行こか」

そう言って僕は車を発進させた。大学までは2時間ほどかかるが、人に揉まれることもなく、ストレスがない。彼がいなかったにせよ、車で行くことは決定していたし、その道中、馬鹿なことを言い合って笑い合える彼がいて本当によかった。電気自動車に対して「うわぁ、これ全然エンジン音ないですね」とか、僕が事前に読んで批評した原稿を見て「うわぁ、こんなにコメント書いたんすか、すげぇ」とか「なんか書き立てのコメントって貴重ですねぇ」とか、いろいろな話題を見つけては、彼は感動していた。

さて、会話が一巡りした頃、パーキングエリアも近かったので、僕は彼に聞いた。

「後輩君、朝飯は食ってきたんやっけ?」

「いや、まだですよ、朝が早かったので。野狐さんもまだかと思って、野狐さんの分も持ってきましたよ!」

そう言って、彼は助手席でリュックサックの口を開けた。どうだろうか、普通、こういった時、彼のリュックから何が出ることを予期するだろうか。パン? おにぎり? 男だったらカロリーメイトとか、そういうものだろうか。がさがさとなるので、足元に置いてある彼の鞄をチラ見した。

彼は手にバナナを握っていた。
ちなみにBLネタには流れない。本物のバナナである。

さて。バナナというワードを視認し、さらにそれが下ネタでないことを認識したあなた方に問いたい。あなた方の脳内で、イケメン後輩くんは幾つバナナを持っていただろうか? 彼と僕の分、計二本だろうか。それとも、気の利いた彼は4つ持っていただろうか。

 

正解は二房である。

 

計バナナ10本である。

 

リュックの中から嬉しそうにバナナ二房を出す彼に対して僕は思わず「ふぅあっ!?」と叫んでしまった。僕の分を持ってきてくれたのは嬉しいが、僕は朝食にバナナを5本食べる人間ではない。房から一本もいで「食べますか?」と彼は差し出してきたが、僕は丁寧に断った。

「あのさ、なんでバナナをそんな大量に持ってきたん?」

平静を取り戻してから、何気ない調子で彼に聞く。

「えっ、バナナは健康にいいんですよ」

「いや、それは分かるんやけどさ・・・え、二房やで?それ、俺と後輩君との配分どうなってたん?」

「もちろん先輩は食べる分だけ食べてもらうつもりでいました!」

「余ったら持って帰るつもり、みたいな?」

「何言ってるんですか、持って帰るほどの量じゃないでしょう笑」

発言の語尾に「笑」がついた。これが僕のする卑屈な笑いなら冗談だと思えるが、イケメン後輩くんは屈託のない笑みである。嘘ではない。彼は本気だった。ちなみにこの短い会話のキャッチボールの間で彼はすでに二本目に突入していた。

「え、でも俺が朝飯食ってたら、君一人でバナナ10本食べることになってたんやで?」
「ええ、でもバナナ美味しいんで全然、全然っすよ!」
全然なのか、と思いながら僕は隣に座るイケメン後輩くんが大物の天然くんであることを悟った。イケメンはバナナを食べながら新たな話題を提供してきた。

「いや、バナナも美味しいんですけど、僕、みかんが大好きで」

「ほう、みかん」

「ほら僕、昔タイに住んでたんですけど、タイだと日本にあるあの小ぶりのやつはないんです」

「ほう、そうなのか」彼の会話を聞いている間、だが僕の頭はバナナで支配されていた。何せ隣で10本出してきたのである。その光景があまりにも斬新すぎて、みかんなどどうでもよいと思ってしまった。彼もみかんなど眼中にないはずだ、なぜならバナナ二房も出てきているのだから!「まあ、俺もみかんは好きやで」と苦し紛れに付け足して言葉を返すほかなかった。

「そうですよね、みかん、美味しいですよね!僕の中で、今一番来てるのがみかんなんですけど、バナナがすごい勢いで追い上げてきているんです」
もしそうだとしたら、彼のリュックにはバナナ二房以上のみかんが入っているのではなかろうか?実はバナナの下には、みかんが四〇個くらい中に入っていて、それ以外にも彼の好きな果物がちらほらと入っているのではないだろうか?まさにフルーツの宝石箱である。彼はリュックの中に果物以外の何も詰めておらず、そのため冬なんかも鞄ひとつで生き抜けるのではないか?

冬の公園で鞄を大切そうに抱いて寝る彼が脳裏に浮かんだ。雪の降る中、目を細めながら、かじかんだ手でリュックの紐をゆっくりと解く。その口元は、家を失った者が見せる絶望はなく、逆に、小さな希望を大切に生きている人が浮かべる笑みがある。ゆっくりと手を入れて、愛でるように中をまさぐる。そして出てきたのは・・・バナナだった。

「ごめん、やっぱりバナナしか出てこんわ」僕は彼に謝った。

どうしても僕の脳裏で「鞄からバナナを取り出す彼」が印象に残り、それ以外のフルーツを持つ彼が想像できなかった。みかん至上主義を謳いながらバナナを食べる彼にみかん信者を語る資格などない。彼はバナナ教である。しかも既に一房食べ終わってるし。

会場近くの駐車場に停めてから、少し時間があったので僕らはサンマルクカフェに入ることにしたのだが、その時にはすでにバナナは全てなくなっていた。時間にしておよそ一時間半であろうか。

「ほんまにバナナ好きなんやね」

「ええ、でもみかんが一番ですよ」

その日のどんな発言よりも説得力に欠ける言葉を朝一に僕は聞き、本番での学生たちのスピーチが、説得力溢れるものだと思ってしまった。